蛻変する企業 その1

 先日、支援先の社長から先々代が書き残した記録を見せて頂きました。罫線のない白紙に筆で縦手書きのカタカナ文語体で達筆です。写しを取りひらがなに直して読んでみました。明治から大正にかけ奮闘した小企業の遍歴で、読者の皆さまに参考になると思い紹介します。「今日は明日の続きではなく、明日は今日の続きではない」ことが全文を通して溢れています。具体的な氏名や名称は、○としました。句読点がありませんが、昔の雰囲気を感じる文です。

 薩摩隼人が農民の軍隊に負けた

「本書は余の単身浪々時代より我一家を経営したる期間の出来事所感を記録的に列記し併せて我系統の一部を序に記し、以って我子孫の為に資せんと欲す」から始まり、「我は父○○と母○○の三男として明治八年郷里○○村に於いて生る。長男は戸主として相続し晩年、東京に出で○○区等に住む次男は○○方に婿し○○の性を名乗り年四十歳の頃東京に出で○○区に住む四男は年十七八歳の頃志願し明治三十七八年日露戦争加入により金鵄勲章功五級を賜りたるも病患に罹り郷里に帰り死去。妹は何れも郷里にて嫁す」とあります。

 西南の役では剽悍と言われた薩摩隼人が一年も持ち堪えられず農民兵卒に負け、武士の時代は終わりました。一族は武士階級の出身でしたが、兄弟は共に東京に出てそれぞれの所で起業しています。

 税官吏は、現場がよく見える

 「我は明治三十一年二十三歳の頃初めて東京に来り伯父○○方に寄食し八方職を求めも適当の所なく止む無く伯父の営業たる造花段ボール箱等の製作を手伝う約半年を経過し製薬会社或いは筆耕に雇われし居る間に世話をする者ありて○○警察署書記係を勤める間普通文官試験に合格し官吏となり○○税務監督局に入る」とあります。段ボール製造は荷主の注文に左右されるため、荷主の意向や業績に左右されることを経験し敬遠しています。警察署勤めは時間を裁量できるので空いた時間で普通文官試験学習をしています。合格後に税官吏なって種々の事業や企業が勃興する様を現場で見たことが、後年自身の独立に役立っています。税務官吏時期には、税徴収の立場から簿記を習得して業績の見方も学び、また、従業員を大事にすることが事業の発展には必要なことを理解しています。

 人の和は、最も大事だ

 「後に○○税務署等を勤務し再び○○本局に在勤中明治三十九年妻を娶りはじめて一家を形成す明治四十年偶々長兄の二男が東京にて瓦斯マントル販売業を営むのを見て将来大に望みある事業と思い我も意を決し官途を辞めるはじめて商人となり従兄と共に販売に従事し従兄は小なれど店舗を有す爾後順調に営業を継続し明治四十二年頃従兄の店舗を譲り受けはじめて店舗を有したる商人となる然し此の店舗たるや間口九尺に足らざる極めて狭小なるもここの近隣に対し誠に恥ずかしく密かに発展の途を講じたく志望切なり」

 当時、横浜は外国人が居留地があることもあって、いろいろな仕事が生まれています。ここでは、新たな事業が興る一方、廃れる事業があることに実地に直面しています。世の需要がなければ、一生懸命に事業に集中するだけでは継続しないことも学んでいます。

 結婚した翌年五月に大胆な転換を行っています。故郷を出て九年が過ぎ、下層役人を望んでいた訳ではなく独立を強く志望しており、従兄が行っている瓦斯マントル販売を手掛ける事になりました。明治五年頃の瓦斯燈は黄色の裸火で明るいものではなく、明治十九年瓦斯マントルが発明導入されて、従来とは較べようもなく明るさとなり人気の商品となりました。当時は、街路灯や家庭内照明まで使われ、瓦斯マントルを需要は伸びていました。一族あげて郷里を出て互いに助け合っていた事が窺い知れます。話しが少し戻りますが、警察書記係の面接を担当した方は同郷であり、ここにも人の絆があります。いつの時代でも最も大切なことは、人の和、人の絆です。

 技術革新は、いつの時代もある

 「我は益々営業の伸展に尽力し明治四十四年に間口二間半の店舗を構え奮闘、店運の発展を図る然れども明治四十年上野恩賜公園東京勧業博覧会に瓦斯館開設されど当時瓦斯器具販売の如き誠に需要乏しく他の商店と異なり店舗を構えて営業するほどの価値なし専ら行商を事とし加えて瓦斯会社が営業発展の時期当るを以って瓦斯引用勧誘に従事し勧誘料等の補助により兎にも角営業を継続したり明治十九年東京電燈会社創立するも当時タングステン電球と称するもの発売せられ瓦斯の光力を彷彿たるを以って一部の人々は歓迎せられたるも最初の事故極めて尠なく一打の注文に対しても東京電燈株式会社は特使を以って配達する有様なり併し此の頃より電気と言うもの世人に認める所となり我営業も遂に電気器具販売に移る端緒を作りたり」

 間口二間半の店舗を守る気はなく、電燈出現に強く関心を持ち、瓦斯器具販売から電気器具販売に商売替えをしています。技術革新がたゆまなく押し寄せてきた時代であり、その波をとらえて自身の営業のあるべき姿を捉まえようとしています。

 産業の栄枯盛衰は甚だしい

 富岡製糸所、八幡製鉄、東京電燈などあまたの起業がされているのが明治です。一方では、瓦斯燈が消えつつある時代です。

 三白産業と言う紙・繊維・精糖が経済を牽引し花形であった時代は、六十年ほど前です。富岡製糸所は世界産業遺産にはなりましが、今日では繊維産業は廃れて、従業者数は昭和六十年百十五万人であったものが、平成二十二年三十万人へ急減しています。

 現在は、通信ネットワークを活かした産業や新たな事業や仕事が生まれ続いており、ビッグデーター、クラウド、モバイルが注目されています。時代を超えて共通する点は、絶え間ない技術革新であり、それに伴い企業は蛻変し続けている事です

 次回は続編です。正月には用意しますので、しばらくお待ちいただければ幸いです。

中小企業診断士 窪田靖彦