小林前会長を偲んで

新たな年を迎えるにあたり、昨年1年を振り返ってみた。個人的には息を抜けない多忙な日々を送った。健康には気をつけ、アルコールを控えて、体調面は良好であったが、公私にわたり時間に追われている感じで、1年があっという間に過ぎ去った。

 

9月には東京大田中小企業診断士会の生みの親である小林前会長が87歳で逝去された。小林前会長からは、前職(東芝)時代から35年の長きにわたり、ご指導をいただいた。

 

小生が29歳の時に中小企業診断士の資格を取得し、企業内診断士の若手として、社内の診断士仲間の懇親会(宴会)の幹事(下働き)を長年務めた関係で、毎年1回必ず、お会いする間柄であった。その会のメンバーは強者が多く、小林先輩以外は本社や工場の資材調達部門のメンバーであった。彼だけが、経理部門の所属で、非常に合理的かつ理論的な洞察力のある先輩であった。

 

小生が前職を離れ、独立診断士になった時、メーカー出身者として京浜工業地帯の中小企業の支援の実務を行いたいとの希望を持っていた。そこで、小林先輩のもとを訪ね相談したところ、「君は何をやりたいのか?」「何ができるのか?」と尋ねられた。「大田区、川崎市の中小製造業の支援の実務に携わりたい」と言ってはみたものの、小林先輩のような経理的なバックグランドもなく、専門性を持ち合わせていない。「中小企業経営者の役に立つ付加価値を提供できるのか?」全く、白紙の状態。

 

そんな折、東京大田診断士会に入会させていただき、直接ご指導をいただいた。経理部門出身であり、関係会社の社長として、経営に携わった経験から、中小企業の経営を経理の眼で分析するのが得意であり、常に数字(データ)から経営を読み取っておられた。

 

この2年間は小林前会長と共に、大田区内の支援機関(大田区役所、大田区産業振興協会、東京商工会議所大田支部、工場団体連合会、商業団体連合会、信用保証協会等)や金融機関、他の士業の方とお会いする機会を得た。常に会員のことと大田区内の中小企業のことを考え、関係部門との連携強化にリーダーシップを発揮され、生涯現役を貫かれた大先輩であった。

 

晩年、他の中小企業診断士とは違った面として、BCPの観点から、大規模地震や災害で大田区内の企業が事業存続できないようなダメージを負った時に、大田区と交流のある長野県のある村と常日頃から交流を重ね、大規模災害を乗り越えるための連携強化を叫ばれておられた。この件が、道半ばであったとご本人は感じておられた。まだまだ、やり残したことがあるとご本人は自覚されておられた。

 

前会長亡き後は、残された会員が、その志を受け継いで、並木新会長のもと、日々前進していきたいと思う。

 

 ご冥福をお祈りいたします。合掌。

 

 

(滝沢 典之)