起業の時の商品は今はない

皆さんご存知のとおり、昔から言われていることに長く続いている企業は就職希望者や従業員から信頼され、もちろんお客様や仕入先などの関係者からも頼りにされます。そりゃそうですよ。いつまでも続くから企業は信用されるのです。

 では、どのように企業が続いてゆくのか、一つの事例で示したいと思います。

起業時の商品を、今日作っていない会社

 新聞にテルモの企業広告が載っており、あの北里柴三郎博士が同社の創設にかかわりがあったとのことです。体温計製造が国民医療には欠かせないとして、当時は体温計が輸入品であることを危惧した博士を含めた方々が、水銀体温計の国産化のために同社を起業したと出てました。博士の思いを引き継いで同社では「医療を通じて社会に貢献」することを経営理念としています。

 2015年3月期のテルモの売上総額は4,895億円で、その内訳は「心臓血管」2,292億円、「病院関連」1.615億円、「血液関連」989億円です。では、水銀体温計がどのくらい占めているのでしょうか、今日の売上はゼロです。

 なぜ起業した時の商品は今日ではなくなったのでしょうか、同社OB達にきいてみました。

 経営理念は、大事だ!

「起業した時の創業者の思いは、医療に必要である水銀体温計の生産だったのに、どうしてその生産を止めてしまったのですか」

「当初の経営理念は引き継いで来ましたが、モノには拘泥しなかったからです。この場合であれば水銀体温計に拘ることなく、体温測定が”医療を通じて社会に貢献”すると考えたからです」

 OBは、同社には「医療を通じて社会に貢献する」経営理念の下、医療に必要なコトを提供し、モノを特定していない「やわらかさ」があったと言います。

「しかし、よりよい水銀体温計にする方向もあったのではないでしょうか」

「そうですね。そうゆう方向もあったとは思います。しかし、時代や世の中の流れを企業は取り入れなければ続くことはありません」

 水銀は水俣病の原因であることが次第に明確になり、水銀体温計の生産を他社よりいち早く止めましたが、体温測定は医療に必要なコトなので電子体温計生産に切り替えたといいます。

「と言って、そんなに簡単に電子体温計が開発されたわけではありません」

「そうですね。発売前だいたい5年間は開発に時間と人材、それに費用を投じてきたと思いますよ」 

「その頃は、水銀体温計のほかにいろいろな医療器具を自社開発してきて、医療機関にお使いいただいておりました。それら新しい製品が電子体温計の開発に必要な資金を支えてきたのです」

 

 新製品開発の費用の資金は、利益から産み出して当てなければなりません。それだけの企業の体力と覚悟がいると、OBは付け加えました。

 その後、欧州連合(EU)では水銀を使った計測機器類の使用を禁止したこと、その波及もあってわが国でも同じことになります(注)。しかしながら、その切り替えた電子体温計の売上高は、今日では全体の数%にしかないとOBは言います。それは、その他の事業が経営理念に沿ってひろがってきたからだと言います。起業の時の製品が消えてゆく一方で、時代の流れをよくみて、同社は次々と新しい分野に出て新しい製品を出し続けて変化に応じてきたことが今日まで継続していると言います。

 新たな力を取り込む

 体温計以外の他の事業が大きく伸びたことをとらえて、OBはいいます。

「今のように人口臓器や家庭内医療の分野にひろがるとは、夢にも思ってもいなかった」

「硝子管をガスの炎で加工して水銀体温計を作っていたほんの小さな町工場が、無機・有機化学、電気・電子工学、医療・医薬の学生や研究者を採用し、一方では射出・押出成型の合成樹脂技術者、生産機械を社内で製作する設計者、殺菌技術者を中途採用を含めて取り込んだことが、今日まで伸びた源だったと思いますよ」

 OBは遠くを見ながら次のように言います。

「でも、生産停止をした商品は水銀体温計の他にもあります。それらに携わってきた人材は、新たな商品に携わる人材と入れ替わったこともあります」

 貢献してきた有為な人材が会社を去ることもあったと言います。

 人材がすべての源

 同社はバブル期には業績悪化を招いています。それは、指示待ち体質の従業員が多く居たことが原因だとOBは言います。この弊害を克服するため、幹部以下が改めて経営理念を再認識したそうです。その結果、「一人一人がこの会社の主役という気持ちで働く」、「人は財産である、費用ではない」、「高く広い視野から物を見る」との経営方針を掲げて、風土の改革を行ったこともあって業績は軌道に復してきたと言います。

「その改革は、並大抵の事ではなかったと云う事ですか」

「そのとおりです。ここでは詳しくはお話ししませんが・・・」

 ちょっと間をおきてから、話題を代えました。

「今の地域別売上はどのような事になって今すか」

「国内売上が37%で。海外が63%です。海外の内訳は、米州が26%、欧州が21%、アジア他が16%です」

「そのような売上では、幹部には外国人がいるのでしょうか」

「そのとおりです。取締役にも執行役員にもいますし、諸外国にある生産会社や販売会社などには当然ながら外国の方々が活躍しています」

 OBは、国籍に拘ることなく人材を採用してきたことが企業の成長には必要なことであると言います。

「町工場であった同社が、どうしてこのように国内売上より国外売上が多くなったのでしょうか」

「それは、1950年代より海外へ進出したきたことが、今日の姿になったと思います」

「そうだよ、当時の日本は米国や欧州と比べて、それほど経済が進んでいないし、医療への関心も低かったな」

「初めころは海外からバイヤーが日本に来て製品を買い取り、次は当社自身が商品を海外に輸出して、やがて海外に拠点を作って販売し、次は生産拠点を作ったと言うことですか」

「その通りです。今いわれたように、順を追って次第に進出して来ました。それも、いつも自分たちで考えて、一つひとつ進めた来たからだと思います」

 色々と困難なことはあったでしょうが、OBはそれにはまり触れません。

「でも、世界にはもっと大きな同業者がいるんですよ」

「そうだよ。これからも足を止めることはできないな」

 OBは、退職しても今でも自分が現役のような感じで話します。

「命が大事な国、今命が大事にされつつある国、これから大事になる国、このように国の成熟度合いによって、医療への需要度が変化するからな」

 起業の源であった製品であった水銀体温計は、その当時は価値がありましたが、今日では失われています。モノに執着していたら、今日まで続く事はなかったでしょう。

 経営理念の大事さ、モノに執着しないこと、社会や世の中の移り変わりを取り込むことなどが企業が続くには、無くてはならない大事なことだとまとめることができます。

 皆さんにこの拙文が何かお役にたつことがあればと幸いです。

中小企業診断士 窪田靖彦

注:2015(平成27)年5月22日水銀被害を防ぐ日本主導の水俣条約が国会で承認されたのを受け、環境省は来年から全国の病院・診療所の体温計や血圧計の回収を支援する。医師会と組んで水銀製品を集める。人や自然に悪い影響を及ぼす恐れがある水銀は国際的に規制する流れが強まっている。水俣病など水銀による公害を経験し、製品を回収・処分する「日本モデル」で環境先進国をめざす。 

上記のとおり水俣条約が国会承認されることに先立つこと30年前、テルモは1985(昭和60)年11月に水銀体温計の生産を止めている。一方、電子体温計の開発は、OBによれば水銀体温計生産停止の5年前から開発を進めていた。