■「お客様は神様」からの転換点
2025年4月、東京都において「カスタマーハラスメント防止条例」が施行されました。長年、日本のサービス業では「お客様は神様」という精神が美徳とされ、多少の理不尽な要求であっても、現場の我慢と誠意で飲み込むことが求められてきました。しかし、この条例はその商慣習に明確な「No」を突きつけ、「従業員を守ること」が企業の責務であるという新しいスタンダードを社会に提示しました。
とはいえ、現場を預かる経営者の皆様の本音はどうでしょうか。「理念はわかるが、実際に何をすればいいのか」「人手不足の中、対策に割く時間も人員もない」というのが正直なところではないでしょうか。特に、お客様との距離が近い中小企業・小規模事業者ほど、その悩みは深いように感じます。
■支援現場で見た「小規模事業者の孤独」
私は今年、東京都の「カスタマーハラスメント対策助成金」を活用したマニュアル策定や、基本方針の策定支援を複数件担当いたしました。その中で特に印象的だったのは、支援先の多くが小規模事業者であり、経営者自身が最前線に立っているという現実でした。
社内に法務部や専門の苦情処理係がいる大企業とは異なり、小規模事業者には「社内の支援組織」が存在しません。社長一人、あるいはご家族だけでトラブルを抱え込み、精神をすり減らしている。これが、私が見た現場のリアルな課題感でした。
しかし、経営者が疲弊してしまっては、事業の継続そのものが危ぶまれ、持続可能な状態とは言えません。社内のリソースだけで解決しようとせず、「外部の組織」を活用する仕組みづくりが必要です。
■外部リソースの活用は「2層」で考える
では、具体的にどのような外部活用が考えられるでしょうか。私は大きく分けて「トラブル対処」と「経営への組み込み」の2つの層で外部を活用することをお勧めしています。
まず1つ目は、トラブル発生時の「盾」としての外部機関です。カスハラ対策マニュアルを作成する際、もっとも重要なのは「ここからは社内で対応しない」というラインを引くことです。例えば、法的な判断が必要な局面では「日本司法支援センター(法テラス)」へ、悪質な嫌がらせについては警察や自治体の「公的な相談窓口」へ相談することを、マニュアルに明記してください。 「何かあったらここへ連絡する」という具体的な出口があるだけで、対応者の心理的負担は劇的に軽くなります。毅然と対応するためには、公的機関という後ろ盾が不可欠です。
そして2つ目が、対策を経営力に変えるための「中小企業診断士」の活用です。実は、東京都のカスハラ対策助成金の公募要領を見ると、弁護士や社会保険労務士と並び、私たち「中小企業診断士」も専門家として明記されています。 弁護士が「起きてしまった法的紛争」を解決するプロだとすれば、我々診断士は「対策をどう経営に活かすか」という予防と組織づくりのプロです。マニュアルをただのルールブックで終わらせず、どう運用すれば現場が動きやすいか、従業員が安心して働ける環境をどうデザインするか。そうした「経営視点」での制度設計においては、我々診断士がお役に立てる場面が数多くあります。
■従業員のケアこそ、最強のエンゲージメント対策
接客などのサービス業務は、単なる作業ではなく、自身の感情をコントロールして価値を提供する「感情労働」としての側面を持っています。この感情労働において、カスハラによる負荷は甚大です。理不尽な対応が続けば、従業員のメンタルは傷つき、業務への意欲減退や、最悪の場合は離職につながってしまいます。つまり、カスハラを放置することは人的損失に直結するリスクなのです。
適切なカスハラ対策は従業員エンゲージメントの向上に直結します。エンゲージメントは給与や評価制度だけでなく、日々の業務で感じる「守られている」という安心感に大きく左右されます。会社がしっかりとした対策マニュアルを整備し、外部機関とも連携して「我々はあなたを守る」という姿勢を行動で示す。それによって「この会社は自分を大切にしてくれる」という信頼感が生まれて初めて、従業員のエンゲージメント(貢献意欲)は向上します。
エンゲージメントが高まれば、サービスの質が上がり、結果として顧客満足度も向上する。この好循環を生み出す起点こそが、カスハラ対策なのです。
(保呂田 太郎)
