業績が良くなっても、別の危機
23人製造業のA社長は、大口取引先の受注が年々落ち込み、10年前に危機に陥っていました。その時に中小企業診断士の種々の助言を受け、実態に合わせて実行したことがあって、大口取引先売上が落ちてきても他の分野の売上が伸びて、直近年度の利益は過去最大になりました。ところが業績が順調にすすんでいる中で、後継者と考えていた子息の仕事ぶりや勤務の態度が気になり始めました。このところ、受注の中味をお客様と打ち合わせが不十分のため、生産の「やり直し」で資材を再調達することが数回出てきて、損害をこうむりました。歳若いためなのか夜遊びが過ぎて、日中携帯電話の呼び出しに応じないことがあったことなどです。従業員の模範ともなるべき者がこのような仕事ぶりなので、経営者は戸惑いを抱えながら中小企業診断士に相談に来ました。
原因はなになのか、確認や点検が足りない
そこで、子息から「やり直し」とはどんなことなのか事情を聞いてみました。
「半期で5件の生産のやり直しはどうして起きたの」
「やり直しの理由はお客様にあるので、強く追求することは出来ませんよ」
「やり直し5件は、全てお客様の責任なの」
「全部がそうとは思いませんが…」
「自分の方で確かめる点が、不足していたとは思いませんか」
「でも、仕事をこなさなければならないし…」
「確かめる点はどのようにチェックしていたの」
「その都度、考えて大切だと思う点を見つけてチェックしていました」
「仕事には共通することがあるので、チェックシート注1を作ったら」
「エッ、チェックシート?それ教えてくださいよ、やってみますから」
今までのやり直しを含め元に確認すべき項目をチェックシートにしました。お客様と仕様を確かめる時にチェックシートを使うことで、確認漏れが少なくなりました。子息は、この経験から何が原因なのか、原因の多くは確認や点検が足りなかったことを身をもって知りました。チェックシートを従業員と話し合って、意見を取り入れてさらに良くしていました。
お客様とお話しするときは、質問調で訊くのではなく、「これは、こうでよいのですね」と確認調で話すことで、感情のもつれもないことも体得しました。
意欲が欠けているのは、なぜなのか
まずは、社長から話をお聞きすることになりました。よくあることですが、社長は子息がよくやった時にもほめず、社長が子息を後継者と思っていたとしても子息にキチンと伝わっていないのではないか、中小企業診断士は気になっていました。
「チェックシートを使ってから、仕事はどうですか」
「前とは違ってやり直しがなくなり、よくやっていると思いますよ…」
「従業員は、チェックシートをどう思っていますか」
「従業員は、自分の意見を取り込んでいるので、良いと思っていますよ」
「それで、よくやった時には、ほめていますか」
「普通のことなので特には、ほめていませんが…」
「社長!うまくやったときはほめてくださいよ」
「ええ、…分りました」
次は、本題です。
「社長は、ご子息に次はお前がやるのだと面と向かって言っていますか」
「まだ、はやいと思ってハッキリとは言っていません、…わかると思って」
社長が子息は後継者とする能力が付きつつあると思うのであれば、後継者として明確に本人に伝えることは、本人は益々やる気が出てくると話しました注2。その後、社長は幹部従業員を同席させて、子息に「次はお前がやるのだ」と話しました。子息はびっくりした様子だったそうです。それからは、子息は率先して朝礼を行い、従業員の模範となるように勤務態度も改め、従業員と仕事の進み具合や不都合を話し合って、毎日元気な声をだしています。
人は、期待されていることが分ると、やる気が出るものです。
それには、上に立つものは自分の言葉で明確に「ほめる時は、ほめ」「期待していること」を云うことが大事なことです。「次はお前がやるのだ」と言われた子息は、強い意欲をもって日々努力を重ねており、能力も向上しています。
注1:チェックシートは品質管理の7つ道具に含まれます。調査や点検に必要な項目や点検内容があらかじめされている調査用紙です。このように2つの種類があります。一つは現状把握を目的にした記録用チェックシート。もう一つは、この事例に出てくる点検・確認を目的にした点検用チェックシートです。
注2:期待理論とは、人の仕事への動機付けは、仕事への努力を通じ、なんらかの価値が得られると期待されるとき、人は仕事に心理的なエネルギーを投入すると言う考え方です。「よくやった」ときは「ほめる」ことで人は認められたと思うので、動機つけになります。
中小企業診断士 窪田 靖彦